エンドウ・アソシエイツのデザイン


エンドウ・アソシエイツのデザイン

■ 圓堂政嘉のデザイン

圓堂政嘉は、日本の建物の建設工程のほとんどが現場で加工、組み立て等の仕事を行なっていた時代に、建物の品質・性能を向上させるためにも、建設現場の労働者不足を補うためにも、将来必ず建築材料の工業部品化の必要性があることを、顧客や建築業界そしてその先方を務める私達に説いていました。その中で最も積極的に取り組んだのが、外壁のカーテンウォール化です。その努力の成果が、山口銀行本店(1962年)、虎ノ門実業会館ビル(1963年)、七十七銀行東京支店(1963年)、新宿京王百貨店(1964年)、ヤクルト本社ビル(1972年)、大洋漁業本社ビル(1978年)等に表れています。これらは、圓堂政嘉の代表作品であり、私達の事務所にとっても代表作品です。 そして、私自身が自分の事務所の作品を自慢するようでいやですが、これらの作品は、日本のカーテンウォールの先駆け的作品であり、名作でもあると思っています。

特に新宿京王百貨店のカーテンウォールは秀逸です。新宿西口の超高層街も、隣の小田急百貨店、西口ロータリーもない頃の1964年に、この建物は完成していますが、現在私達が見ても、決してデザインが古びていなく、つい最近完成した建物かと見まがうほどです。その当時の巨匠と呼ばれる建築家の手になる多くの建物が陳腐化する中で、現代でも通用する美しさを保っています。日本の有名建築家がコンクリート化粧打ち放しの外壁に規則的にアルミサッシ窓を付けるだけのデザインをしていた頃に、あの巨大な全面カーテンウォール建物を完成させた圓堂政嘉の先見性と腕力に驚かざるをえません。

当時の建築デザインは、新奇をてらって外壁面を無理にデコボコさせ、そうすることによっていかにもデザインしたように装う傾向がありました。実際そういった建物が建築雑誌を賑わしていました。圓堂政嘉は、そういったスタイルの設計を建築雑誌の「新建築」に引っ掛けて「珍建築」と言って忌み嫌い、むしろ外壁面をできる限りフラットに見せることによって、建物全体のフォルムの美しさを際立たせるデザイン手法をとっていました。そして、それを実現するため、全ての建築部位におけるコンポジション、プロポーション、ディテール、マチエールの美しさを追求しました。それもシンプルな美しさの追求です。これは、まさに現代の建築デザインの基本となる考え方です。圓堂政嘉がプランでもフォルムでも常にシンプルな造形を追求した結果、彼のデザインが、現代のデザインと相通ずるものになったと思います。

■ 当社のデザインを読む
新宿京王百貨店新宿京王百貨店

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広尾ガーデンヒルズ広尾ガーデンヒルズ

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私たちは良いストックづくりを目指します。私たちは良いストックづくりを目指します。

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芸術家の目と手を持て芸術家の目と手を持て

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